40歳を過ぎたある夏、私は突然の激痛と高熱に襲われ、意識が遠のく中で細菌性髄膜炎という診断を受けました。数週間にわたる集中治療室での生死を彷徨う日々の末、ようやく命は助かりましたが、意識がはっきりした私を待っていたのは、自分の身体が自分のものではないような、過酷な後遺症の現実でした。右半身には麻痺が残り、言葉を発しようとしても呂律が回らず、何より右耳の聴力を完全に失っていました。退院後のリハビリテーション病院での生活は、まさに赤ん坊が世界を学び直すような地道な作業の連続でした。最初の1ヶ月は、ベッドから車椅子へ移るだけで15分以上かかり、そのあまりの不甲斐なさに何度も涙を流しました。しかし、担当の理学療法士が私の指先のわずかな動きを見逃さず、素晴らしい反応です、と励ましてくれたことが、折れかけていた私の心に小さな火を灯してくれました。リハビリの内容は多岐にわたりました。毎日3時間の集中訓練では、麻痺した足に装具をつけて歩く練習を繰り返し、作業療法では箸を使って豆を運ぶという気の遠くなるような作業に没頭しました。言語聴覚士との時間は、失われた音の世界と折り合いをつけるための大切な時間でした。片耳が聞こえないという不便さは想像以上のもので、人混みの中では音の方向がわからずパニックになることもありましたが、残された左耳をいかに活用するか、そして視覚情報をどう補うかという具体的な戦略を学ぶことで、少しずつ自信を取り戻していきました。発症から1年が経過した今、私は杖を使わずに歩けるようになり、短時間の事務作業であれば復職できるまでになりました。もちろん、右耳は聞こえないままですし、疲れがたまると言葉が詰まることもあります。しかし、リハビリを通じて学んだのは、失ったものを数えるのではなく、今ある機能をいかに使い切るかという知恵でした。不自由になった身体は、私に新しい視点と、他人の痛みに対する深い共感を与えてくれました。髄膜炎の後遺症は消え去るものではありませんが、リハビリという努力を積み重ねた先に、かつての自分とは違う、しかしより強靭でしなやかな自分が立っていることに気づきました。もし今、同じ苦しみの中にいる人がいるなら、伝えたいです。脳は私たちが思っている以上に賢く、諦めなければ必ず応えてくれるということを。その一歩は小さくても、未来へ確実に繋がっています。