45歳という働き盛りのある日、私は職場のデスクでこれまでに経験したことのないような激しい頭痛に見舞われました。バットで頭を殴られたような衝撃の直後、視界がぐにゃりと歪み、左手の力が抜けてスマートフォンの操作さえできなくなったことを覚えています。病院に運び込まれ、告げられた診断名は右被殻出血でした。緊急手術によって命は助かりましたが、意識がはっきりした私を待っていたのは、自分の意志では1ミリも動かなくなった左半身という残酷な現実でした。これが私の脳出血後遺症との長い戦いの始まりでした。入院生活の初期は、絶望感からリハビリ室へ向かうことさえ苦痛で、車椅子に揺られながら窓の外を眺めては涙を流す毎日でした。しかし、担当の理学療法士が私の指先のわずかな震えを見逃さず、今、脳が新しい道を作ろうとしていますよ、と一緒に喜んでくれたことが、折れかけていた私の心に小さな火を灯してくれました。リハビリの内容は過酷でした。麻痺した足を装具で固定して歩く練習は、まるで生まれたての小鹿が立ち上がろうとするような不格好なものでしたが、私は昨日よりも1メートル遠くへ、という小さな目標を自分に課しました。言語の障害は幸い軽微でしたが、高次脳機能障害の影響で、複数のことを同時にこなそうとするとパニックになるようになり、以前のように仕事をこなせない自分に苛立つことも多々ありました。それでも、妻は毎日面会に来て私の不自由な手を握り続けてくれました。その温かさが、私にとっての何よりの治療薬だったのかもしれません。発症から半年が過ぎ、回復期病院を退院する日、私は杖を使いながらも自分の足で玄関をまたぐことができました。完全に元通りになったわけではありません。今でも左足を引きずるような感覚はありますし、雨の日には古傷が疼くように痛みます。しかし、脳出血の後遺症は、私から自由を奪った一方で、1日を無事に過ごせることの尊さと、周囲の優しさに気づく繊細な感覚を与えてくれました。失った機能を数えて嘆くのではなく、残された機能で今日何ができるかを考えるようになったとき、私の心の後遺症もまた、少しずつ癒えていったのだと感じています。
突然の暗転から始まった私の脳出血闘病記