あの日、私の時計は止まってしまいました。3年前の記録的な猛暑日、仕事中に意識を失い救急車で運ばれた私は、深部体温が41度に達する重症熱中症と診断されました。数日間の集中治療を経て、幸いにも一命を取り留めることができましたが、退院した私を待っていたのは、以前の自分とは全くの別物になってしまった不自由な身体でした。病院の先生は数値上の異常は消えたと言いますが、私の体感としては、毎日が鉛のような重さとの戦いです。まず私を苦しめたのは、消えることのない激しい倦怠感でした。朝起きた瞬間からフルマラソンを走り終えた後のような疲労感があり、ただ椅子に座っているだけでも呼吸が苦しくなるのです。そして、追い打ちをかけるように現れたのが記憶の欠落でした。数分前の会話が思い出せなかったり、慣れ親しんだ仕事の段取りが分からなくなったりと、脳の中に深い霧がかかったような状態、いわゆる脳フォーグが現在も続いています。重症熱中症の後遺症は、見た目には健康そうに見えるため、周囲からサボっていると思われるのが一番辛いことです。職場に戻ろうと何度も試みましたが、少しの気温上昇やストレスで激しいめまいと吐き気に襲われ、結局は退職せざるを得ませんでした。私の身体は、あの日を境に熱に対するセンサーが完全に壊れてしまったようです。冷房の効いた室内でも常に体調の波に怯え、外出する際には血圧計と経口補水液が手放せません。それでも、私は少しずつ今の身体との付き合い方を覚えていきました。1日にできることを3つだけに絞り、無理をしないことを自分に許可する。リハビリテーションを通じて、1ミリずつの進歩を喜ぶ。重症熱中症の後遺症は、完治という言葉からは程遠いものかもしれません。しかし、あの日死んでいたかもしれない命をどう使い切るか、それを考えることが今の私の生きる意味になっています。後遺症は私の人生を大きく変えましたが、同時に1日を無事に過ごせることの奇跡を教えてくれました。同じように苦しんでいる人がいるなら、伝えたいです。あなたは弱くない、身体が必死に生き延びようとした証が今の不調なのだと。